コラム
趣味は勉強

このコラムには、最近読んだ本や考えたことを素材として、「心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく」書き記していきたいと考えています。本日は、その第一回目として、西洋古代史の泰斗である本村凌二氏が昨年から今年にかけて上梓された(正確に言えば、「上梓されつつある」)『地中海世界の歴史』という本のご紹介から話を始めたいと思います。
【本村凌二氏の大著『地中海世界の歴史』と「神々の声」の仮説】
この本にはメソポタミア・エジプト両文明の興亡からローマ帝国の崩壊に至るまでの西洋古代社会4000年の歴史が記されています。
齢80歳になりなんとする本村先生が、全八巻に及ぶ大著をおひとりで書き下ろされること自体英雄譚として語られるべき壮挙であると思いますが、加えて注目すべきは、その第一巻のタイトルが、『神々のささやく世界』となっており、第二巻のタイトルが『沈黙する神々の帝国』となっていることです。
なぜこのようなタイトルになっているのか。それは、メソポタミア・エジプト両文明の時代においては、右脳の働きを通じて、神々のささやく声が人々の心に直接聞こえていた(あるいは「聞こえるような気がしていた」)ところ、表音文字の発達等が原因となってその声は次第に間遠となり、アッシリアとアケメネス朝ペルシャの二大帝国が勃興する時代に至っては、人類はそれを聞くことが全くできなくなってしまったという仮説に本村先生がコミットされておられるからなのです。
【現代社会における右脳人間と左脳人間】
なぜ本村先生がこの仮説にコミットされているか、その理由については原本をお読み願いたいと思いますが、結論から申しますと、本村先生のリーズニングは極めて説得力があるように思えます。
そして、神々の声が聞こえなくなったのちも人間の右脳は決してその働きを止めたわけではなく、それどころか、神々の声に代わる思想、宗教、芸術などを生み出して人類の文明史を彩り続けてきた原動力も右脳の働きによるものであるという仮説もまた極めて説得力に富んだものであるように思えます。
なぜならば、盲人であったとされるホメロスの叙事詩(イリアスとオデュッセイア)や稗田阿礼が口誦したとされる古事記の物語、あるいは、さらに時代が下って、ゲーテが描いた古典的ヴァルプルギスの夜(ファウスト第二部所収)やモーツアルトのレクイエムの調べなどは、そのような右脳の働きを仮定しなければ到底その成立を説明することができないもののように思えるからです。
現代社会においても右脳は有効に働いているに違いありません。ただし、その働きの程度は個人によって差があり、ビジネスの現場においても、法律家の世界においても、右脳がはたす直感的な脳の働きを最大限に活かそうとする右脳人間と、左脳がはたすメカニカルな思考の働きに頼って仕事を精力的に進めてゆく左脳人間がいるように思えます。
ちなみに、私はどうかといいますと、若手弁護士の時代にはそれなりに左脳人間を装っていたのですが(そうでないと、クライアントやパートナーの信頼を獲得できません)、年齢を重ねるうちに右脳人間の本性が明らかとなってきたようであり、最高裁判事の職にあった時には明け方寝室で判決文の構想を練っているときなどに、独創的な文章が頭の中から自然にあふれ出してきて自分でもびっくりしたことが何度もありました。
【現代社会に右脳人間が適応することの難しさ】
ただし、右脳人間にも弱みがあります。私自身のこととして言えば、最低8時間寝ないと仕事をする気がしない点や、静かで人気のない場所でないと思考がまとまらない点などはいかにも右脳人間らしく、判例を調査したりノートをとったり資料を整理したりすることが苦手な点も右脳人間の弱点であるように思えます。
さらに言えば、これは、私だけの問題かもしれませんが、極端な方向音痴であり、最高裁で働いていた時分には秘書官の随行を受けずに施設内を歩いて他の裁判官の執務棟に迷い込んでしまったことも少なくありませんでした。
このようなことをつらつら考えてみますと、国際化、情報化の進む現代のビジネス社会や法曹界を生き抜いていくためには、左脳人間、言い換えればエンジニアタイプの人間のほうが向いており、右脳人間、言い換えればアーティストタイプの人間は社会のマイノリティとしての悲哀を託つ傾向を免れない気がいたします。
例えば、裁判所においても、最近はIT化、DX化の動きが顕著であり、裁判官自らがパソコンを駆使して情報の収集や分析を行える能力の育成やそれに適した執務環境の形成が求められているように思えます。類似の傾向は、大手法律事務所においても窺えます。かつて私が所属していた法律事務所においても、以前は、パートナーになれば個室と専属秘書が与えられることは常識でしたが、最近では、(パートナー一人当たりの収益は大幅に向上しているにもかかわらず)執務室や秘書の共有化が進んでいるようです。
【創造的な組織のための共生環境の重要性】
仕事の効率性という点からいえば、このような動きは目的合理性を持っているのかもしれません。
しかしながら、このような動きは、右脳人間が生息し得る生活空間を狭めてしまいます。そして、裁判所にせよ、法律事務所にせよ、あるいは、およそいかなる企業や行政機関においても、創造的な成果を生み出すためには、右脳人間の働きが必要です。
組織の運営を担う方々におかれましては、左脳人間と右脳人間が共生できる職場環境の形成に意を尽くしていただきたいと願う次第です。