コラム
Yuri as Managing Secretary
今年の春から草野先生は東大法学部で「法と経営学」という授業の講義をしておられます。授業の準備と実施に当たっては私も精一杯のお手伝いをいたします。まず、先生が作られた講義用のレジュメをデータ化し、これを授業の前の週の金曜日までにアップロードし、学生の皆様がこれを使って予習ができるようにするまでが一苦労です(先生のレジュメは数式のオンパレードですのでこれをデータ化するのは結構大変です)。授業にも同行します。教室に着くと直ちにレジュメを教室前面のスクリーンに映し出し、スクリーンに指示棒を当てながら立って講義をする先生のペースに合わせて、映し出されたレジュメをスクロールいたします。もっとも、最初の一、二回こそ、かなり緊張いたしましたが、次第に慣れてきて、最近では、講義を聴いていらっしゃる皆様の表情を拝見する余裕が出てまいりました。優秀な学生の皆様が真剣に講義を聞いていらっしゃる姿はとても凛々しく、私自身の心にも、かつてなかったほどの勉学心が湧き起こってくる気がいたします。
【祖父と東大法学部 ― 不思議な星の巡りあわせ】
実を申しますと、私の母方の祖父は、東大法学部を卒業して警察官僚となり、警察庁長官を務めた人物です。ただし、祖父は私が25歳の時に他界してしまい、祖父の口から青春時代の話を聞く機会はありませんでした。今回、不思議な星の巡りあわせから東大法学部の授業にかかわることとなり、毎週、荘厳な建造物群が立ち並ぶ大学構内を逍遥しているうちに、祖父の若かりし日々のイメージが私の中で膨らんでまいりました。このことを草野先生に話すと、先生は興味を持ってくださったようで、日本の近現代史において東大法学部が果たした役割を縷々語ってくださいました。以下は、これに端を発した先生と私の対話の一部を再現したものです。
【庄司薫「薫君シリーズ」が描いた東大法学部のエートス】
(先生)1970年代に一世を風靡した作家に庄司薫がいます。庄司は、1969年に『赤頭巾ちゃん気をつけて』で芥川賞を受賞しました。この作品の主人公である「薫くん」が日比谷高校の3年生であった時に(小説中の話です)、我が国では大学闘争が猖獗を極め、東大の入試も中止となってしまいます。東大文一(つまり法学部)への進学を決めていた薫君は大いに悩みますが、最終的には、どこの大学にも進学せずに1年浪人して翌年東大入試に挑むことを決めます。そんな薫君の浪人時代における「青春放浪記」を描いた作品が「薫君シリーズ」4部作として出版され、当時爆発的な人気を呼んだわけです(ちなみに、この4作のタイトルにはすべてに「色」が含まれていて、それが各作品の主題を象徴しています。すなわち、「赤頭巾ちゃん気をつけて」の赤は「愛」、「さよなら怪傑黒頭巾」の黒は「挫折」、「白鳥の歌なんか聞こえない」の白は「死」、「僕の大好きな青髭」の青は「友情」ないしは「希望」を象徴しています)。「薫君シリーズ」には薫君のお兄さんとその友人たちも出てきますが、ほぼ全員が東大法学部の卒業生です。彼らは、官僚、弁護士、ジャーナリストなど様々な仕事についていますが、「世のため、人のために役立ちたい」という共通のエートスを抱いています。そして、この4部作、特に、「赤頭巾」と「黒頭巾」には、彼らがこのエートスを育んだフォーラムとして東大法学部が描き出されているのです。例えば、「赤頭巾」には次のような記述があります。
つまりぼくは、確かに東大法学部に行こうと決めていたわけだが、それはよくみんなが「ああ、そうか」(やっぱり?)といった受けとめ方をするものとは、ほんの少しかもしれないけどちがうところがあると自分では思っていたわけなんだ。もちろんどう説明したらいいか分からないけれど、たとえばぼくの兄貴たちは二人とも東大法学部で、その沢山の友達たちもぼくはよく知っているのだが、こういう人たちを簡単に「ああ、あれか」(「あれ」のところにはいやったらしいパワーエリートでも立身出世主義者でもなんでも入れていいよ)と一括して決めつけることは、少なくとも僕にはできないように思うわけだ。それに、たとえばぼくは二年の時、ぼくが特に好きな下の兄貴に、悪名高い法学部は要するに何をやっているのかときいたことがあるけれど、彼は、ちょっと考えたあとで、なんでもそうだが、要するにみんなを幸福にするにはどうしたらいいのかを考えてるんだよ。全員がとは言わないが。」とえらく真面目に答えたものだ。
【東大法学部はなぜそのような組織になったのか】
(私)素敵な話ですね。どうして、そんなに素敵な組織が生まれたのでしょうか。
(先生)明治の日本が近代国家として欧米の国々と対等な関係を築いていくためには、法の整備と法の実践を担う法律家(行政官僚も含めた意味です)の育成が焦眉の課題でした。この課題に正面から取り組むために、明治政府が、(当時の水準からいえば)巨額の国家予算を費やして作り出した組織、それが東大法学部だったのです。庄司の作品に描かれているエートスは、そのような国の期待を担う者としての誇りと使命感を抱いた東大法学部の学生たちが長年にわたって培った伝統に負うものと言えるでしょう。谷村さんのお爺様も、必ずやそのようなエートスを抱いて警察官僚の道を志し、その職責を見事に全うされたのだと思います。
(私)先生が学生の頃にもそういう伝統はまだあったのですか。
(先生)私個人はかなり不真面目な学生でしたので、あまり偉そうなことは言えませんが、そういう伝統は残っていたと思います。例えば、京極純一教授の「政治過程論」の授業で、京極先生が、(教室にいる200名前後の学生を見わたしながら)「国家が繁栄を謳歌し続けるためには、この教室にいる程度の数の優秀な若者が、毎年、大学を卒業して天下国家のために全力で働き続けることが必要なのです」と言っていたと、クラスメートが熱く語っていたことを今でも覚えています。恥ずかしながら、私自身は、前日明け方近くまでディスコ(今でいう「クラブ」)で遊んでいたために寝坊してしまい、その授業には出席できませんでしたが。
【変わりゆく卒業生の進路 ― 法曹離れの現実】
(私)今でもその伝統は生きているのでしょうか。
(先生)そう信じたいところですが、少し気になることがあります。
(私)どんな点が気になるのですか。
(先生)卒業生の進路が気になります。一昔前は、優秀な学生はみな行政官僚か法曹のいずれかになったものですが、最近は、官僚志望者は激減し、法曹希望者の数も(司法試験は以前に比べて格段にやさしい試験になったにもかかわらず)伸び悩んでいます。一方で、人気の就職先になっているのはコンサルティング会社や金融ファンド(アクティビストファンドを含む)のようです。
(私)コンサルやファンドでは駄目ですか。
(先生)駄目とは言いませんが、せっかく東大法学部に入ったのですから、とりあえずは法曹資格を取得し、そのうえで発展的な職業人生を送ってもらいたいと思います。いかなるキャリアライフを目指すにせよ、「いつでも弁護士に戻れる」という選択肢があることは大切ですし、「世のため人のために役立つ仕事ができているか」という自戒の念を保持するうえでも国家資格を持っていることは重要です。
【法律学の「ガラパゴス化」と再生への道】
(私)法律家という職業そのものの人気が盛り上がらないのはなぜでしょうか。
(先生)色々な理由がありますが、間違いなく言える原因は、法律学の方法論が時代遅れなものになっているために(「ガラパゴス化している」と言ってもいいでしょう)、現在の法律学が、最優秀な若者が知的情熱を傾けるに足る学問となり得ていないことだと思います。
(私)どうしたらいいのでしょうか。
(先生)数学や経済学、それから、分析哲学と記号論理学の洗礼を経た現代倫理学の知見を大幅に導入すること、これ以外に法律学を再生させる道はないと思います。
(私)先生の講義は新しい法律学なのですか。
(先生)それを目指しているつもりです。「開講の辞」で、「今後の100年においても東大法学部が日本の社会に有用な人物を輩出し続けることができるように」と言ったのは、決してハッタリではありません。谷村さんにも、そういう使命感を共有してもらえたら嬉しいです。
(私)はい、頑張ります。
というわけで、最後は、(毎度のことではありますが)私の勤労意欲がさらに高まる結果となってしまいました(笑)。