コラム

「法律家 名著を読む」

第3回 『文明の衝突』(サミュエル・ハンチントン著/鈴木主税訳)を読む
弁護士 松尾拓也

Ⅰ 『文明の衝突』に興味を持った理由

本コラムの第2回で読んだユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』において、ハラリは、数千年の単位で見渡せば、文化は統一の方向に進み続けていると主張しています。

「数千年の単位」という時間軸で考えれば、ハラリの主張は間違っていないように思われます。もっとも、このような超長期の視点のみでは、近年、私たちが目の当たりにしている数々の国際的な紛争の背景を読み解くことはできないとも感じていました。

そこで、今回は、冷戦後の世界をより短い時間軸で見通すパラダイムを提唱した、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』を読んでみることにしました。

Ⅱ 本書の時代背景

『文明の衝突』(原題:The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order)は、米国の政治学者サミュエル・P・ハンチントンが1996年に著した国際政治学の名著で、世界的ベストセラーとなった本です。

本書は、冷戦という世界規模の二極対立が終結した後の世界においては、イデオロギーに代わり、「文明」が新たな対立の主軸になると主張しました。

このような本書の主張は、2026年現在を生きる我々からすれば、それほど驚くようなものではないかもしれません。しかし、本書が出版された当時の時代背景に思いを馳せれば、本書が当時の国際社会に与えた衝撃の大きさを想像できるのではないかと思います。

本書は、1993年7月号の『フォーリン・アフェアーズ』誌に掲載されたハンチントンの論文「The Clash of Civilizations?」から派生して出版されたものですが、同論文は、ハンチントンのかつての教え子であったフランシス・フクヤマによって1992年に発表された『歴史の終わり』(原題:The End of History and the Last Man)(※1)に呼応する形で発表されたものです(※2)。同書において、フランシス・フクヤマは、国際社会において民主主義と自由経済が最終的に勝利し、もはや政治体制を破壊するほどの戦争やクーデターのような歴史的大事件は生じなくなるとして、この状況を「歴史の終わり」と呼んだのです。

(※1)なお、同書は、1989年に『ナショナル・インタレスト』誌に掲載されたフランシス・フクヤマの論文「The End of History?」を元に執筆されたものです。

(※2)ちなみに、イェール大学のハンスマン教授とハーバード大学のクラークマン教授によって2001年に公表された会社法分野における著名な論文「The End of History for Corporate Law」(世界の会社法が、企業構造とガバナンスの規範的見解としての「株主志向モデル」に収斂していくと主張する論文)のタイトルは、このフランシス・フクヤマの書籍のタイトルに由来するものです。

このように、ハンチントンの論文が公表された1993年当時は、1991年12月のソ連崩壊を経て「これからはイデオロギーの対立が消え、平和な世界が訪れる」という楽観論が広がっていた時期でした。そのような楽観論を真っ向から否定し、世界は宗教や文化の違いによる新たな対立に向かうと予言し、国際社会に大きな衝撃を与えたのがハンチントンの論文だったのです。

余談ですが、個人的には、ハンチントンが、かつての教え子であったフクヤマの主張を踏まえて、それとは対照的な主張(よりリアリスティックで冷徹な主張)を展開し、その二人の主張が、冷戦後の国際政治の二大ビジョンになったというストーリーにも、大変興味をそそられるものがありました。

III 本書の概要

1.8つの主要文明と文明間の勢力の変化

本書の中心的な主張は、「文明」(※3)というアイデンティティが、冷戦後の統合や分裂あるいは衝突のパターンを形作るということです。

(※3)ハンチントンは、「文明」の輪郭を定めているのは、言語、歴史、宗教、生活習慣、社会制度のような共通した客観的な要素と、人びとの主観的な自己認識の両方であるとしています。

ハンチントンは、冷戦後の世界は7つか8つの主要文明の世界であると述べ、中華文明、日本文明、ヒンドゥー文明、イスラム文明、西欧文明(※4)、東方正教会文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明を挙げています。

(※4) ハンチントンは、西欧文明には、ヨーロッパや北アメリカのほか、オーストラリアやニュージーランドなど、ヨーロッパからの移住者からなる国も含まれるとしています。

そのうえで、ハンチントンは、文明間の勢力の均衡が変化していると述べます。大まかに言えば、①相対的な影響力という意味では、西欧文明は衰えつつあり、②アジア文明(主に中華文明)は経済的、軍事的、政治的な力を拡大しつつあり、③イスラム圏で人口が爆発的に増えた結果、イスラム文明に属するイスラム諸国とその近隣諸国は不安定になっており、④非西欧文明は全般的に自分たちの文化の価値を再確認しつつある、としています。そして、国々は自分たちの文明の主役、つまり、その文明の中核となる国の政府を中心にまとまっていくとしています。

このように文明間の勢力の均衡が変化していく中、西欧は普遍主義的な主張のため、次第に他の文明と衝突するようになり、特にイスラム諸国や中国との衝突は極めて深刻になるというのがハンチントンの見立てです。

ところで、上述の8つの主要文明のうち、日本文明は、事実上、日本という1つの中核国と同一である(日本と日本文明が合致している)点でユニークです。ハンチントンによれば、一部の学者は日本の文化と中国の文化を極東文明という見出しでひとくくりにしているものの、ほとんどの学者は、日本を固有の文明として認識し、中国文明から派生して西暦100年~400年の間に現れたと見ているそうです。そのことによって日本は孤立しており、世界のいかなる他国とも文化的に密接なつながりをもたない立場にあり、日本の他国との関係は文化的な紐帯ではなく、安全保障及び経済的な利害によって形成されることになるとハンチントンは指摘しています。また、そのようなユニークな立ち位置のため、日本は自国の利益のみを顧慮して行動することができ、他国と同じ文化を共有することから生ずる義務に縛られることがないという特徴を有する旨も指摘しています。日本の外交政策を考えていく上で、大変面白い視点であると感じます。

2.予測に役立つパラダイムの提供

ところで、ハンチントンは、本書は社会科学の研究を意図するものではなく、冷戦後の世界政治の変化をどう解釈すればよいかを示そうとしたものであり、国際情勢の進展を見るための道具として、学者や政策決定者にとって有意義かつ有益なパラダイムを示すことを企図したものである旨を述べています。

前提として、ハンチントンは、冷戦の末期に提起され、広く一般にもてはやされた国際政治のパラダイムとして、次の4つを挙げ、それらのいずれよりも、ハンチントンが提唱する「文明パラダイム」の方が有益であると説いています(※5)。

  • 1つの世界
  • 2つの世界
  • ほぼ184か国の世界
  • 混とん状態

(※5)ハンチントンは、「文明パラダイム」を、当時一般にもてはやされていた4つのパラダイムと比較して、「より有益なもの」として提唱しています。このようなアプローチは、実務家として大変好感が持てるものです。法律実務の世界も、国際政治の世界と同様、複雑で個別性の高い現実を取り扱うため、全ての事案に対して常に正解を出せるパラダイムを考案することは現実的ではありませんが、それでも、法的安定性を確保し、経済活動の促進を図るには、できる限り予測可能性を高める努力を重ねることが重要です。また、実務では限られた時間軸の中で有益なソリューションを提供しなければならない場面も多く、完璧なものができるまで答えを出さないということは許されません。ハンチントンの1993年の論文「The Clash of Civilizations?」や本書は、公表されるや否や、大きな論争と批判を巻き起こしたとされていますが、冷戦終結後の混沌とした国際政治の世界にタイムリーに一定の視点を提供し、予測可能性を高めることに貢献したことの意義は小さくないものと思われます。

「1つの世界」というのが、前述したフランシス・フクヤマの「歴史の終焉」理論に代表される、冷戦の終結によって国際政治における重要な対立が終わり、1つの比較的調和のとれた世界が生まれるというパラダイムです(※6)。しかし、冷戦後の世界情勢を見る限り、調和のとれた1つの世界というパラダイムは明らかに現実離れしすぎており、冷戦後の世界の指針としては役に立たないとハンチントンは指摘します。実際、冷戦後の世界には、自由・民主主義以外にも、(中国におけるような)市場社会主義(社会主義市場経済)、独裁主義や民族主義など、色々な形の政治形態が存在し続けていることは明らかであり、少なくとも2026年現在から振り返れば、学者や政策決定者に適切な予測の枠組みを提供するという意味で、実務的に有意義なパラダイムであったとは言い難いように感じます。

(※6)ハンチントンは、「1つの世界」という見方(ある種の普遍的な文明が生まれつつあるという見方)の論拠の1つとして、人々の交流――貿易、投資、観光、マスメディア、電子通信一般――が増大した結果、共通の世界文化が生まれつつあるという考え方に触れたうえで、証拠から見るかぎり、そのような商業的な交流の増大が平和を促進するというリベラルな国際協調主義者の仮説はまったく通用しないと述べています。むしろ、通信や貿易、旅行がさかんになって文明間の相互交流の機会が増えるにつれて、人びとはますます自分たちのアイデンティティと文明との関連を強く意識するようになると述べています。

「2つの世界」というパラダイムは、人は常に人間を2つに区分したがる性質があるという考えに依拠したものであり、東洋と西洋、北と南、中心部と周縁部、平和地帯と紛争地帯、豊かな国々と貧しい国々といった様々な区分の視点が示されたと、ハンチントンは指摘します。その上で、ハンチントンは、世界は極めて複雑であり、単純に2つに区分するだけでは、概ねどんな目的にも適う有用な地図を描くことはできないと指摘します。

「ほぼ184か国の世界」というパラダイム(国家パラダイム)は、国際問題においては「国」こそが唯一の重要な主役であり、各国の利害や行動は、各国が(自分たちの生存と安全を保障するために)自国の力を最大限に拡大しようとするという仮説から予測することができるという考え方です。また、「混とん状態」というパラダイムは、冷戦終結後の世界の無秩序な状態を強調する考え方です。これらのパラダイムは、よりリアリスト的であり、国際政治の実情をよく示してはいるものの、世界を深く理解し、出来事を整理する助けにはなりにくいという限界があると、ハンチントンは言います。

そのうえで、ハンチントンは、「1つの世界」や「2つの世界」というパラダイムほどリアリティを犠牲にすることがなく、「国家パラダイム」や「混沌パラダイム」のようにリアリティに固執するあまり簡略さを諦める必要もない枠組みとして、世界を7つか8つの文明で成り立つと見る「文明パラダイム」を提唱しているのです。ハンチントンは、この枠組みは、世界情勢を理解し、増加する紛争の中でどれが重要なのかを見分けるにも、また将来の展開を予測するにも適切で、政策立案者の指針となると主張しています。

さらに、パラダイムは予測を導きだすものでもあり、パラダイムの妥当性と有用性を測る重要な試金石となるのは、そこから引き出された予測が他のパラダイムによるものと比べてどの程度正確かという点であるとも述べています。

IV.予測の「答え合わせ」と限界

1.予測の「答え合わせ」

それでは、「文明パラダイム」は、実際に、どのくらい正確な予測を提供したのでしょうか。

ハンチントン自身は、本書で、「冷戦終結後に展開した重要な出来事の多くは、文明パラダイムと矛盾していないだけでなく、その観点に立って予測しようと思えば予測できるものだった」とし、「主なものをあげると、ソ連とユーゴスラヴィアの解体、両国の旧領土における戦争の進行、世界的な宗教における原理主義の高まり、ロシアとトルコとメキシコのアイデンティティをめぐる国内紛争、日米貿易摩擦の激化、イラクとリビアへの西欧の圧力にたいするイスラム諸国の抵抗、核兵器およびその輸送手段を獲得しようとするイスラム国家と儒教国家の奮闘、「アウトサイダー」として大国の役割を演じつづける中国、新しく民主主義政権が強化された国々と強化されない国々、東アジアにおける兵器開発競争などである」と述べており、文明パラダイムが、国際社会に関する優れた将来予測の枠組みであったことを誇っているように見受けられます。

もっとも、ここで挙げられている事象はいずれも本書執筆(すなわち1996年)時点で既に起こっていたものであり、言わば後付けで、「文明パラダイムで予測できる事象であった」と主張しているものに過ぎません。

そこで、以下では、本書執筆時点から30年が経過した2026年現在から振り返ってみることで、本書で示された予測(文明パラダイムに基づくハンチントンの予測)が実際にどのくらい正確だったのかを見ていきたいと思います。

(1)西欧とその他の文明との間の対立

ハンチントンは、本書で、冷戦後の世界について次のように予測しています。

「冷戦後の多極的、多文明の世界には、冷戦時に存在したような決定的な分裂は存在しない。しかし、イスラム教徒の人口増大とアジアの経済的発展はつづき、西欧とこれに挑戦する文明とのあいだの紛争は、他の種類の分裂よりも、グローバル・ポリティックスにかかわる問題の中心になるだろう。」

「今後、危険な衝突が起こるとすれば、それは西欧の傲慢さ、イスラムの不寛容、そして中華文明固有の独断などが相互に作用して起きるだろう。」

また、ハンチントンは、各文明間のパワーバランスについて、次のように述べています。

「挑戦する側の文明であるイスラムや中国の西欧との関係はつねに緊張しており、ときには非常に敵対的になる可能性がある。ラテンアメリカやアフリカは文明の力が比較的弱く、ある意味で西欧に頼ってきたので、西欧との関係においてそれほど激しい紛争は起こらないだろう。とくにラテンアメリカについてはそれが言える。西欧とロシア、日本、インドとの関係は、上記二つのグループとの関係の中間的なものになり、協力的になったり紛争が起こったりするだろう。これら三カ国はときには挑戦者の文明と同調し、ときには西欧側につくだろう。これらは西欧文明と、イスラム、中華文明のあいだで「揺れ動く」文明なのである。」

このような予測がどの程度当たっていると感じるかは人それぞれかと思いますが、個人的には、2026年現在においても国際社会の捉え方として大きく外れてはいないように感じます。

しかし、本書は、このような大枠の予測だけではなく、より具体的な予測も大胆に記載しており、その中には、予測が外れていると認めざるを得ない部分も少なからず存在するように思います(※7)。

(※7)もちろん、予想が的中したと持て囃されたものもありました。特に、2001年の9・11同時多発テロ事件は、まさにハンチントンの予想が的中したものだとして、世界中で一躍大きな注目を集めたとされています。

(2)ロシア・ウクライナ戦争

たとえば、政治学者のジョン・ミアシャイマーは「国家パラダイム」をもとに、ロシア・ウクライナ戦争の可能性を強調していたのに対し、「文明パラダイム」の見方ではその可能性を最小限とし、かわって(西欧文明と東方正教会文明を隔てる断層線がウクライナの中心部を走っていることを踏まえ)ウクライナの分裂の可能性を強調していました。

ハンチントンは、本書で「重要なのが文明であるなら、ウクライナ人とロシア人の間に武力衝突が起こることは考えられない」、「もっと実現の可能性のある道は、ウクライナが断層線にそって分裂し、2つの独立した存在となって東側がロシアに吸収されるというものだ」と述べていたのです。

実際にどうなったかは、皆さんご存じのとおりです。

(3)台湾をめぐる状況

また、本書は、台湾について、「21世紀の初めには、強制か和解によって、または最も可能性が高いのはその両方によって、台湾は大陸中国により緊密に統合されるだろう」と予測していました。

中国(中華人民共和国)と台湾が同じ中華文明に属していることを背景として、このような予測が示されたのではないかと想像しますが、2026年現在、この予測は実現していないと言ってよいでしょう。

もっとも、この予測は「21世紀の初めには」としている点で外れていると認めざるを得ないかと思いますが、時期以外の点については、まだ予想が外れたと結論付けるのは時期尚早というべきなのだと思います。

2.予測の限界

ところで、ハンチントンが(ある意味、リスクをとって)大胆に行った予想を、30年後に「答え合わせ」と称して後知恵で批評するのはいかにも悪趣味だと、自分でも感じずにはいられません。

そこで、本項では、ハンチントンをフォローするコメントを残しておきたいと思います。

まず、前述のとおり、ハンチントンは「パラダイムの妥当性と有用性を測る重要な試金石となるのは、そこから引き出された予測が他のパラダイムによるものと比べてどの程度正確か」であると述べています。すなわち、「文明パラダイム」の善し悪しは、他のパラダイムにおける予測がどの程度正確であったかと比較しなければ評価できません。従って、上記のように「文明パラダイム」に基づくハンチントンの予測の一部が外れていると認めざるを得ないとしても、そのことをもって、「文明パラダイム」が最善ではなかったと結論付けることはできません。

また、そもそも、国際政治の世界はいわゆる「二次」のカオス系の分野であり、その予測は、それ自体が結果に変容をもたらしてしまうため、本質的な限界があります。この点については、ハラリが『サピエンス全史』の中で述べた次の指摘が分かりやすいかと思います。

「カオス系には二種類ある。一次のカオス系は、それについての予想に反応しない。たとえば天気は、一次のカオス系だ。天気は無数の要因に左右されはするものの、私たちはそのうちのしだいに多くを考慮に入れるコンピューターモデルを構築し、ますます正確な予報を行なえる。二次のカオス系は、それについての予想に反応するので、正確に予想することはけっしてできない。たとえば、市場は二次のカオス系だ。翌日の石油価格を100パーセントの精度で予想するコンピュータープログラムを開発したらどうなるだろう?石油価格はたちまちその予想に反応するので、その結果、予想は外れる。現在の石油価格が1バレル当たり90ドルで、絶対確実なコンピュータープログラムが、明日は100ドルになると予想したら、商人たちはあわてて石油を買い、予想される価格上昇で儲けようとする。すると、石油価格は明日ではなく今日、100ドルに値上がりする。すると、明日はどうなるのか?誰にもわからない。」

実際、ハンチントンも本書の「日本語版への序文」(1998年執筆)において、本書の元になった1993年の論文の公表後5年間における重要な進展として、「異なった文明に属するグループのあいだの衝突を阻止し、封じ込める必要性に対する認識が高まっている」として、「ドイツとイランの大統領を含むさまざまな国の政治指導者が「文明間の対話」を呼びかけ、危機感をいだいた多くのグループが会議やセミナーを開いて、文明間の相違を小さくする道を探るとともに、文明の共通性を増進させようとしている」、「つまるところ、私が論文と本で発した警告は、建設的なインパクトとなり、世界の危険の主要な源に注目させるとともに、人びとにその危険を小さくしようとする努力をうながしたのではないかと思う」と述べており、彼の予測に反応して国際政治の未来が修正された可能性が示唆されているところです。

このように考えると、本書執筆の30年後の世界の一部が、本書の予測と異なる結果になったという事実のみをもって、当時の予測モデルとしての有用性を否定することはできないでしょう。

V.本書を読み終えて

1.本書に対する視点の変化

本書を読む前においては、30年前に執筆された本書が、近時私たちが目の当たりにしている数々の国際的な紛争をどのくらい正確に予測し、またその背景を読み解く手がかりをどのくらい提供してくれているかという点に関心がありました。すなわち、2026年現在から振り返って、本書の「答え合わせ」をするという点に関心がありました。しかし、本書を読み進めていくうちに、上述したとおり、国際政治の世界はいわゆる「二次」のカオス系の分野であり、その予測自体が結果に変容をもたらしてしまうため、この分野における予測には本質的な限界があることに考えが至りました。

その結果、私の関心は、本書が執筆された当時において、本書が世の中にどのように衝撃を与え、どのように国際社会に寄与したかという、「当時の視点」に移っていきました。その中で、ハンチントンが、複雑な世界を理解し、将来を予測するためには、現実をある程度単純化した「パラダイム」が必要であるという発想で、既存のパラダイムよりはベターなものとして「文明パラダイム」という新しい分析・予想の枠組みを提唱し、(おそらく、大きな論争と批判を巻き起こすことも恐れず)冷戦終結後の混沌とした国際政治の世界に、実際に使える一枚の「地図」をタイムリーに提示したことに思い至り、その姿勢に、実務家として強く共感した次第です。

ところで、例えば、ロシア・ウクライナ戦争に関して言えば、前述のとおり、結果的には「国家パラダイム」に基づく予測の方が当たっていたと言えるでしょう。ハンチントンも述べているとおり、「文明パラダイム」は1つのパラダイムに過ぎず、それ1つで全ての事象を説明・予測できるわけではありませんし、その他のパラダイムと常に相反・矛盾するわけでもありません。そのため、1つのパラダイムですべての現実を説明しようとするのではなく、複数のパラダイムを持ちつつ、事象に応じて見方を切り替えるという発想もあってよいものと思いますし、そのような使い方をハンチントンも望んでいたのではないかと想像します。

2.当時の自分を思い出す

さて、最後に、「当時の視点」ということで、ハンチントンの論文や本書が執筆された時期の私自身のことも思い起こしてみました。

1991年12月のソ連崩壊の当時、私は中学受験を控えた小学6年生でした。私が受験した灘中学校は受験科目が国語・算数・理科の3科目しかなかったこともあり、当時、社会という科目への関心は薄く、冷戦の終結という歴史上の一大イベントにも、それほど心を動かされた記憶はありません。また、本書が出版された1996年当時、私は高校2年生だったわけですが、読書経験ゼロであった当時の私は、冷戦終結後の世界観をめぐって、このような興味深い論戦が展開されていたことを全く認識していませんでした。

今回、初めて本書の存在を知り、本書を読むことで、私がノホホンと生きていたあの時代に、冷戦の終結を踏まえた新たな国際社会の枠組みに関する活発な議論がなされていたという事実を知り、大変感慨深い気持ちになりました。もし当時の自分が読書家で、本書(や、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』)を読んでいたとしたら、どう感じ、その後の人生にどのような影響があり得ただろうか、といった想像も巡らせてみたくなりました。

いずれにせよ、本コラムの執筆を引き受けていなければ、本書を読むことはない人生だったと思います。30年遅れではありますが、本書を読む機会を得られたことを、ありがたく思います。

以上