コラム
新産業創出論・拾遺
ダビデとゴリアテ
最近、知人でアメリカの著名なベンチャーキャピタリストに彼のファンドのポートフォリオ(投資先企業)について話を聞く機会があった。
直近のファンドのポートフォリオは十数社。すべて未上場企業であるが、そのうちの半数の企業に関しては企業価値が「B」(Billion)単位で表示してある。ポートフォリオ企業の半数がバリュエーションが10億ドル(約1,500億円)以上の会社、すなわちユニコーン企業なのである。ポートフォリオ内で企業価値最大の会社は90億ドル(約1.3兆円)で、「M」(Million)単位で表記されている会社の中でもバリュエーションが100Mすなわち1億ドル(約150億円)を下回っている会社は2社だけで、そのほかはいずれも数百億円規模の企業ばかりである。
このポートフォリオの中の一社はAIソフトウェア開発プラットフォームの会社で、一年でARRがなんと100倍超に成長し(ARRは年間経常収益。Annual Recurring Revenue)、直近のARRは約500億円に成長している。また、ポートフォリオには、防衛領域、いわゆるディフェンス・テックの領域のドローンの会社ですでに米国政府から数百億円規模の受注を獲得している企業も含まれている。
これら企業価値「B」単位のユニコーン企業は、日本であれば既に上場済みの、あるいは、遠くない将来に大型上場を行う予定のスタートアップとして扱われていても不思議ではない。そのような会社が、なお「ミドルステージ・スタートアップ」としてさらなる資金調達と事業成長を追求しているのである。日本では、ユニコーン企業という言葉自体に依然として特別な響きがある。しかしベイエリアでは、ユニコーンは決して珍しい存在ではなく、さらに言えば、ユニコーンですら通過点にすぎず、その先の急成長が当然視され、あるいは、当然の期待値として求められている。
しかも、彼としては、このユニコーンだらけのポートフォリオを前提にしても、10%前後がホームラン案件になれば十分であり、30%程度が2倍から3倍程度のリターンを実現できればよく、残りは全損でも構わないという前提で評価しているという。つまり、数百億円、数千億円というバリュエーションが付された会社であっても、その時点では成功が約束されているわけではなく、むしろ、その規模の企業であってもなお、高い失敗確率を抱えながら走り続けている世界なのである。
その評価は謙遜の類のものではなく、ごく冷静な評価であるというべきである。たとえば、上記のAIソフトウェア開発プラットフォームに関して言えば、OpenAIやアンソロピックといった基盤モデル事業者もこの会社が手掛けているプロダクトと同種のプロダクトを自らの基盤モデルの中で実現しようとしてくる可能性も十分あり得る。そのため、この会社はすでに急激な成長と十分に大きな売上という結果を残していながらもなお、この先、超巨大企業であるこうした基盤モデルプレイヤーとの競争にさらされる可能性が十分にあり、場合によってはこれらのプレイヤーのプロダクトに自社のプロダクトが完全に取って代わられてしまう可能性もゼロではない。この意味で今後もこの会社には非常に厳しい競争環境が待ち受けているといえ、これは今後の事業成長や投資家から見た投資リターンへの懸念材料とも言い得るものである。しかし、彼はむしろそうしたシビアな競争を歓迎している。競争があるということは、その市場が実際に十分な需要のある大きな市場であることの証左である。また、強い競合がいれば、競争に勝てなかったとしても、競合企業との事業提携又は当該競合企業への売却が、投資回収の一つの可能性となり得ると彼は捉えている。こうした意味で競争がないよりよっぽどましだというわけだ。これは非常に合理的で冷静な視点であるというべきだろう。
また、このことは上記のドローンの会社にも同様に当てはまる。国際的な安全保障への関心の高まりを受け、ディフェンス・テックやドローンの領域は、今やAIと並んでベンチャー投資家から最も注目を集めている分野の一つである。しかし、それだけに、同領域にはスタートアップが多数ひしめき合っており、また、先行するスタートアップには既に超巨大な企業価値となっている会社も存在する。たとえば、アンドゥリルというスタートアップ企業は、防衛分野においてAIを活用した自律システム、無人機、監視システム及び指揮統制ソフトウェア等を開発するスタートアップで、VRヘッドセットのオキュラスの創業者が創業した会社としても有名であるが、ディフェンス・テック領域で急成長を続けており、いまだ非上場ながら企業価値評価額はすでに610億ドル(約9兆円)になっていると言われている。このような巨大な先行企業が存在するマーケットに置かれた会社は、企業価値が10億ドルに達したといえどもいまだ小規模企業と言え、依然として競合よりも少ないリソースで戦っていかなければならず、競争環境は非常に厳しい。しかし、彼としては、こちらに関しても、競合と正面から競争してもいいし、そうした競合企業に事業売却してもいいし、また、別のプレイヤーと組んでもいいという思考で見ている。
アンドゥリルという会社について言えば、スタートアップながら同社の研究開発リソースは、すでに防衛産業というレガシー中のレガシー産業における既存企業と比肩すべき規模になってきている。防衛産業における大企業の研究開発費は、2025年度ベースで、たとえば、ロッキード・マーチンがグループ全体で約20億ドル(約3,000億円)、ノースロップ・グルマンが約11億ドル(約1,650億円)、L3ハリスが約5.4億ドル(約810億円)、ジェネラル・ダイナミックスが約4.9億ドル(約735億円)であった(なお、防衛企業の場合、本来は会社自身が負担する研究開発費と米国政府等の顧客が契約を通じて負担する研究開発活動とを区別する必要があるが、上記は会社負担研究開発費のみの数値である点留意されたい。)。これに対し、アンドゥリルは非上場のため研究開発費を開示しておらず、その年間投資額を正確に比較することはできない。もっとも、同社は2026年5月までに累積で110億ドル(約1兆6,500億円)を超える資金を調達したと報じられており、2024年の売上高も約10億ドル(約1,500億円)に達したと推計されている。上記調達された資金がすべて研究開発に充てられるわけではなく、製造設備、買収及び運転資金等にも配分されることには留意が必要であるが、同社が研究開発と量産体制の構築に巨額の資本を先行投入できる基盤を有していることは確かである。このように、アンドゥリルは研究開発・製品開発・量産化に投入可能な経営資源全体で見れば、既に多くのレガシー企業と同じ土俵に立っているともいい得る。むしろ、自律システム、無人機及びAIという重点領域への資源集中という観点からは、伝統的な防衛大手を凌駕する局面すら生じている可能性がある。
この構図を一歩引いて眺めてみると興味深い。一般にスタートアップを考える場合、少人数のチームが限られた資金で大企業に挑戦する姿を想像しがちである。かつては実際にそうであり、スタートアップはレガシー企業というゴリアテに対して敏捷性や機動性を武器に立ち向かうダビデであった。しかし、アンドゥリルは、そうした従来的なスタートアップ像とは大きく異なり、レガシー企業との関係において、ゴリアテに対するダビデではなく、ゴリアテに比肩すべき巨躯及び重装備を備えているといえる。
もっとも、それによってダビデ対ゴリアテの構図そのものが消滅したわけではない。彼のポートフォリオ企業であるドローン企業は、企業価値9兆円規模ともいわれるアンドゥリルという強力な先行企業が存在していたとしても、それを理由にこの事業領域から撤退することはないであろうし、投資家もまた、それでもなお将来の成長可能性を信じて資本を供給している。そこには、巨大な競争相手が存在する市場であっても、なお新たな挑戦者には勝機があるとの前提が存在するのである。この意味では、スタートアップがダビデとして巨大企業と伍していくという従来のダビデ対ゴリアテの構図も依然として健在である。
このように、防衛産業をはじめとするパラダイムシフトが進行する事業領域においては、レガシー企業に比肩し、場合によってはそれらを凌駕する資本力や研究開発能力を備えたスタートアップが出現している。そこでは、スタートアップ対レガシー企業という関係が、もはや従来型のダビデ対ゴリアテの構図ではなくなりつつある。この変化は、スタートアップという存在をこれまでとは異なる視座から捉える必要性を示している。
また、小規模なプレイヤーであっても、ダビデのごとく巨大な競合の存在を当然の前提として受け止め、競争を忌避するのではなく、正面からその競争に向き合い、M&Aや事業統合についても、防衛すべき脅威としてではなく競争の帰結として生じ得る自然な選択肢、あるいは場合によっては事業機会やエグジット機会として前向きに捉えている。このように、競争と統合を対立概念としてではなく、企業成長のプロセスの中に併存するものとして捉える思考は、我が国に大きな示唆があると感じる。
一つの切り口:競争と合従連衡――競争と合従連衡への正対が強い産業を創出する――
アメリカ:競争の密度と重層性がもたらす強い産業創出サイクル
ここまでで見てきたように、アメリカのスタートアップエコシステムを考えるときに特筆すべきなのは、競争の「密度」と競争の「重層性」である。
まず、競争の密度という面では、たとえば我が国の場合、ニッチな分野や、主要分野であっても特定のターゲット市場やアプリケーションという一定の切り口で絞り込むと、たやすく「この分野でスタートアップをやっているのはこの1社だけ」という状況を見出せることが多い。他方でアメリカでは、どれほどニッチな領域を切り出しても、その領域に複数の、ときに十数社の競合がひしめいているということが珍しくない。
しかも競争相手はスタートアップだけではない。別カテゴリのプレイヤーとの競争がさらにスタートアップを取り巻く競争環境をシビアなものにしていく。これが競争の「重層性」である。
まずは既存のビッグテック企業である。彼らは常に競合として存在している。その最もよく知られた例の一つが、マーク・ザッカーバーグとスナップチャットをめぐる攻防である。2013年、フェイスブックは急成長する写真共有アプリスナップチャットに対して30億ドルの買収提案を行ったが、スナップチャット創業者のエヴァン・スピーゲルはこれを拒絶した。その後、ザッカーバーグは自らスピーゲルと面会し、フェイスブックの全リソースを投じてスナップチャットと同一機能を持つアプリを展開することを明言したと伝えられている。実際フェイスブックはその直後に消えるフォト機能を持つアプリ「Poke」をリリースし、さらにインスタグラム上でスナップチャットのコア機能を完全に模倣した「ストーリーズ」を展開した。この結果、スナップチャットはユーザー獲得競争において大きな圧迫を受け、その後の競争環境は大きく変質した。この一連の行動は、2025年に開廷したFTC対メタ独占禁止訴訟においても中心的な争点となっており、ザッカーバーグ自身のEメールをはじめとする当時の内部文書が法廷で証拠として提出されている。
同様の事例はアマゾンとDiapers.comをめぐる攻防にも見られる。オンラインでのおむつ・ベビー用品販売で急成長していたクィズィ(Diapers.comの運営会社)は、アマゾンからの買収提案を一度断った。するとその直後、アマゾンはベビー用品の価格を最大30%引き下げるという積極的な価格戦争を仕掛け始めた。クィズィの経営陣が自社商品の価格を試験的に変更したところ、アマゾン側が極めて迅速に価格を追随させたことが確認されたと報じられている。こうした価格競争はクィズィの収益性と資金繰りに大きな圧力を与え、成長は鈍化した。最終的にウォルマートからより高い対抗提案があったにもかかわらず、アマゾンは大幅な値下げ攻勢を継続し、結果、クィズィは2010年に約5億4,500万ドルでアマゾンへの売却に応じた。当事者はのちに「投資家がアマゾンの攻撃に怯えてしまったことが一因だった」と振り返っている。
買収するか、競合を潰すか。あるいは業界標準や技術的なアーキテクチャをめぐって競争相手と暗黙の協調を図りながら競争するか。アメリカにおける競争は、こうした多様な形態と論理が重なり合いながら展開される。競合スタートアップはそのすべてのシナリオと向き合いながら戦略を組み立てなければならない。
さらに、スタートアップがIPOを果たして大企業になった後も、競争は終わらない。ビッグテック企業(グーグル・アップル・メタ・アマゾン・マイクロソフト)たちは2019年から2025年の6年間で少なくとも合計191社を買収し、平均するとおよそ11日に1社のペースで会社を取得し続けてきた。半導体分野でも、AMDによるザイリンクス買収(約490億ドル)やブロードコムによるヴイエムウェア買収(約690億ドル)のような超大型の合従連衡が相次いでいる。他方で、近年は競争当局による審査強化もあり、ビッグテック企業によるスタートアップ買収は以前ほど活発ではなくなっている。その一方で、2024年にはVC支援スタートアップによるスタートアップ買収が増加しており、大型の非上場企業同士が再編の担い手となる新たな潮流も見られる。
つまりアメリカでは、競争とM&Aが同時に走り続けるのが常態である。競争が激化したら合従連衡が起きる。合従連衡の結果生まれた大企業が、また次の競争に挑む。競争と統合とが、産業のダイナミズムの車の両輪として機能しているのである。
競争が密であることが生み出す効果は、企業を強くするというだけではない。そこで戦う人材を育て、その人材が新たな産業の担い手となるという連鎖こそが、アメリカの産業の持続的な更新力の核心にあると私は考えている。
その最も象徴的な事例の一つが、いわゆる「ペイパルマフィア」と呼ばれる現象である。
ペイパルは、ピーター・ティール、マックス・レブチン、イーロン・マスクらが創業した2つの企業が合併して誕生した決済スタートアップであり、2002年にイーベイによって約15億ドルで買収された。しかし本当に興味深いのはその後の話である。ペイパルを巣立った創業者や初期の主要メンバーたちは、その後、現代のテクノロジー産業を根底から変えることになる企業群を生み出した。イーロン・マスクはSpaceXとテスラを、ピーター・ティールはパランティアを、リード・ホフマンはリンクトインを、スティーブ・チェンとチャド・ハーレイはYouTubeを、ジェレミー・ストッペルマンはYelpを創業した。YouTubeはその後グーグルに約16.5億ドルで買収され、リンクトインはマイクロソフトに約262億ドルで買収された。これら一群の人々が生み出した企業価値の総計は、現在ではゆうに数十兆円規模に達するとみられている。
このペイパルマフィアの現象が示しているのは、激しい競争の中で実際に会社を経営し、困難な局面を乗り越えてきた経験が、次の世代の産業を担う人材の養成機関として機能するということである。ペイパルそのものの価値がイーベイへの売却によって一つの節目を迎えたとき、そこで培われた技術、経営経験、人的ネットワーク、そして「できる」という感覚(本連載第1回で言及したロールモデルの力とも通底する感覚)が、次の波を生み出す推進力となった。
この連鎖の重要な背景には、カリフォルニア州の競業避止義務に関する法制度がある。カリフォルニア州では、雇用主が従業員に対して退職後の競業を禁止する契約を締結することが原則として認められていない。この法制度の存在が、シリコンバレーにおける人材の流動性を著しく高め、企業間の人材移動を活発化させている。競合他社への転職や独立が法的に妨げられないからこそ、優れた人材がより挑戦的な場所を求めて動き、それがエコシステムの活力を生み出している。研究者たちは実証的にも、カリフォルニア州のコンピュータ産業においてシリコンバレーの人材移動率が他地域より高く、それが技術の普及とクラスターの形成に寄与していることを確認している。
これはアメリカにおける競争が、単に市場シェアをめぐる企業間の争いにとどまらず、人材という最も重要なリソースの育成と循環という次元でも機能していることを示している。競争が人材を鍛え、鍛えられた人材が競争の中で独立・起業し、それがまた次の競争を生む。この循環こそが、シリコンバレーという生態系の自己更新力の源泉である。
日本:成長の中の切磋琢磨から縮小の中の消耗戦への競争の変質
この競争が成長を生むという基本的な力学は日本企業が世界市場を牽引していた時代の我が国にも当てはまる。
かつてシリコンバレーのVCが日本の電機産業を競合分析していた時代があった。
ある年の新経済連盟のイベントの場での議論として、私の記憶に残っていることがある。もっとも、相当以前のことであり、詳細な経緯や発言者を正確に特定することはできない。その議論によれば、かつてシリコンバレーの投資家や経営者たちは、東芝、パナソニック、シャープ、ソニーといった日本の電機メーカーをベンチマークとして真剣に分析していたという。彼らが当時の日本の電機産業の競争力の源泉として注目していたのは、個々の会社の技術力だけではなく、それらの会社が国内市場において互いに激しく競争していたこと、その競争が会社間の切磋琢磨をもたらし、結果的にイノベーションを駆動していたという点だった。
この観察は、産業競争力論の一般則とも重なる。ある一定の期間、日本の電機産業の強さは、量的な優位だけでなく、ソニーとパナソニックが、シャープと東芝が、それぞれ同じ土俵でしのぎを削り、その競争の中で絶え間なくイノベーションが生まれるという質的なダイナミズムに支えられていた。複数の強者が市場で競い合い、顧客がその競争の恩恵を享受するという構造こそが、産業の底力を形成していたのである。
もっとも、少なくとも産業全体が成長していた局面では、この競争は単なる消耗戦には終わらなかった。各社は市場シェアを奪い合う一方で、新たな製品や用途を次々と生み出し、市場そのものを拡大していた。競争がイノベーションを促し、イノベーションが市場を広げ、広がった市場がさらに新たな競争を呼び込むという好循環が機能していたのである。
ペイパルマフィアが体現するアメリカのダイナミズムと、かつての日本の電機産業の強さとは、その形こそ異なれ、同じ本質を持っている。すなわち、競争がそれに参加する人材と組織を鍛え、その競争の中で生み出された技術や経験が次の段階の産業の礎を作るという、健全な競争のサイクルである。
問題は、その競争の性質が、ある時点から根本的に変質してしまったということである。
我が国の成熟産業の中には、現在の競争単位の数が、人口と国内市場が拡大していた時代の事業環境を前提として形成され、その後も十分な再編を経ないまま維持されている分野がある。高度成長期からバブル期にかけて、日本市場はその規模と成長性において、多数の競合企業が並び立つだけの余地を持っていた。
しかし今、その前提が崩れている。人口減少、長期的なデフレ、そして「失われた30年」と呼ばれる停滞の結果、国内需要の持続的な拡大を期待しにくい産業も増えている。にもかかわらず、競争単位の数はかつての水準のまま、あるいは統合が遅れたまま残存している分野もある。
こうした産業全体が下り坂に差し掛かる局面では、そもそも収益や利益率が低下傾向となる。限られた市場でパイを奪い合う競争が加わることで、利益率はさらに圧縮される。価格競争の激化は、個々の企業の体力を消耗させる。
日本の携帯電話端末産業はその典型的な事例の一つである。2000年代、富士通、NEC、パナソニック、シャープ、ソニー・エリクソン、東芝、三菱電機、日立製作所、カシオ計算機、京セラなど、多数のメーカーが、国内キャリアの仕様に特化した端末を競うように投入していた。いわゆる「ガラパゴス化」と呼ばれたこの構造の中で、各社は国内市場での競合に資本と開発リソースを分散させ続けた。その間、体力の蓄積と集中投資を進めたAppleは2007年にiPhoneを市場に投入し(翌2008年に日本市場でも発売)、携帯電話というプロダクトのパラダイムそのものを塗り替えた。国内メーカー各社がガラパゴス市場での競争に体力を削られていた局面で、全く異なる次元のプロダクトが外側から一気に持ち込まれたのである。結果として、NECは2013年にスマートフォン事業から撤退し、富士通は2018年に携帯端末事業の支配持分を投資ファンド側に移転、パナソニックも2013年に国内個人向けスマートフォンの新規開発を休止した。その後、多くの国内メーカーがスマートフォン事業から撤退し、あるいは端末事業の売却・縮小を余儀なくされ、フィーチャーフォン時代に比べて国内メーカーの数は大きく減少した。国内メーカーの後退は、必ずしも競争単位の多さだけで説明することはできない。キャリア主導の事業構造、国内固有の仕様、ソフトウェア及びエコシステムを中心とする競争への対応の遅れなど、複数の要因が重なった結果である。もっとも、多数のメーカーが限られた国内市場に開発資源を分散させ、各社がグローバルなプラットフォーム競争に必要な規模の集中投資を行いにくかったことも、検討すべき一因であろう。
利益率の低下が慢性化すると、各社における次世代技術や次世代事業を開発するための投資余力が失われていく。競争相手が多いということは、仮に収益が出ていても、それが多数の競争単位に分散されることを意味する。そのため、一社あたりが長期的なトランスフォーメーションに充当できる資本が構造的に細くなってしまう。
この点で示唆的なのが、アメリカの防衛産業の歴史である。冷戦終結後、国防予算の縮小が見込まれる中、1993年、米国防総省は主要防衛企業の経営者を集め、当時の産業構造を維持することは困難であるとの認識を示した。後に「Last Supper」と呼ばれるこの出来事を一つの契機として、また冷戦後の構造変化も相まって、防衛産業では大規模な統合が進み、多数存在していたプレイヤーは少数の巨大企業へと集約されていった。
これらの事例からは、一つの仮説が浮かび上がる。同じように事業構造の転換を迫られながら、海外では(我が国の企業同様に事業撤退を余儀なくされた企業などがありつつも)合従連衡や大型投資を通じてトランスフォーメーションを実行できた企業が現れ、その場合、国内では過当競争の中で体力を削られたまま、そのような生まれ変わりを果たしたプレイヤーに市場を侵食されるという構図である。
競争が産業を強くするのは、その競争がイノベーションを駆動しているときである。競争が産業を弱くするのは、その競争が消耗をもたらすだけで、投資余力も変革余地も生まない「消耗戦」になったときである。問題は競争の有無ではない。競争の「質」である。
スタートアップが大企業を「規模」で凌駕する時代
こうした状況に、さらに決定的な変数が加わった。新しいパラダイムを携えたスタートアップの台頭である。
前述のとおり、「スタートアップ」という言葉からは、少人数のチームが限られた資金で大企業に挑戦する姿を想像しがちである。かつては実際にそうであり、スタートアップはレガシー企業というゴリアテに対して敏捷性や機動性を武器に立ち向かうダビデであった。既存企業が資本、人材、設備、顧客基盤のいずれにおいても圧倒的な優位を持ち、スタートアップはアイデアとスピードによってその隙間を突く存在であった。
しかし、現在、特に大きなイノベーションが起きている分野では、この力関係そのものが逆転する現象が生じている。
その背景にあるのが、グローバルな資本市場である。将来巨大な市場を形成すると期待される技術領域には、まだ十分な売上を持たない段階から数千億円、場合によっては兆円単位の資本が集中する。その結果、設立から数年しか経っていないスタートアップが、一度の資金調達によって、長い歴史を持つ既存企業の年間研究開発費を上回る規模の資本を手にするという、従来であれば考えにくかった状況が生じている。彼らは既存の競争構造に縛られることなく、新しいパラダイムに即したプロダクトを一気呵成に構築する。
ロボティクスはその一例である。ヒューマノイドロボットを開発するFigure AIは、2024年のシリーズBだけで6億7,500万ドル(約1,000億円)を調達した。創業からわずか2年程度の企業が、一度の資金調達でこれだけ成長資金を手にしたのである。その後、2025年には10億ドル(約1,500億円)超のSeries Cラウンドを実施し、企業価値評価は390億ドル(約5兆8.500億円)に達した。これは、時期によっては米国の大手自動車メーカーであるフォードの時価総額にも匹敵する水準であり、設立からわずか3年余りの企業としては異例の評価であった。これに対して、協働ロボット世界的大手のユニバーサルロボッツやMiRを傘下に持つテラダインの2024年の全社年間研究開発費は約4.6億ドル(約690億円)である。もちろん、資金調達額と研究開発費は会計上も経済的にも異なる概念であり、単純な比較はできない。しかし、新興企業が一度の資金調達によって、世界有数の既存企業の年間研究開発費を上回る資金を手にするという事実は、競争条件の変化を象徴している。
AIの分野では、この傾向はさらに顕著である。OpenAIの2025年の研究開発費は約192億ドル(約2兆8,800億円)と報じられているのに対し、創業から100年以上の歴史を持つIBMの全社研究開発費は約83億ドル(約1兆2.450億円)超である。ここでも両社では事業構造も研究開発費の会計上の構成も異なるため、数字を単純に並べて企業の優劣を論じることはできない。しかし重要なのは、創業から10年程度の企業が、世界を代表するテクノロジー企業の全社研究開発費をはるかに上回る規模の資源を、一つの技術パラダイムに集中投入できるようになったということである。
自動運転も同様である。Waymoにはこれまで数百億ドル規模の投資が行われ、さらに2026年2月には160億ドル(約2兆4,000億円)の追加資金調達が行われた。これに対し、既存の自動車メーカー側では、GMのCruiseが事業を大幅に縮小し、フォードとフォルクスワーゲンが支援していたArgo AIも、少なくとも36億ドル(約5,400億円)もの資金が投じられた後、2022年に事業を終了した。ここで起きているのは、単なる「大企業対スタートアップ」の競争ではない。新しいパラダイムに対して巨額の資本を集中できる主体と、それができない主体との競争である。
宇宙産業にも同じ構造が見える。SpaceXは、ロケットという極めて資本集約的な産業に参入しながら、スターリンクを含む巨大な設備投資と研究開発を継続してきた。直近のSpaceXの2023年の宇宙部門のCAPEXは約38億ドル(約5,700億円)規模であるのに対し、ボーイングの2024年の全社研究開発費も約38億ドル(約5,700億円)である。ここでもCAPEXと研究開発費という異なる数字を単純比較することはできないが、かつて「スタートアップ」と呼ばれた企業が、民間航空機、防衛、宇宙をすべて抱える世界最大級の航空宇宙企業の全社研究開発費に匹敵する規模の資本を、一つの産業領域に投じることのできる存在になったという事実は重い。
つまり、今日のイノベーション競争では、企業の歴史や現在の売上規模と、次のパラダイムに投入できるリソースの大きさとが、必ずしも一致しなくなっている。
むしろ、新しい技術パラダイムが立ち上がる局面では、既存事業を多数抱える大企業よりも、一つの新しい市場に企業価値のほぼすべてを賭けるスタートアップの方が、はるかに大きなリスクを取り、はるかに大きな資本を集中できることがある。
大企業には既存事業がある。既存顧客があり、既存製品があり、従業員がおり、既存設備があり、株主に対する利益還元も求められる。全社で数千億円の研究開発費を使っていたとしても、それは多数の事業に配分される。これに対し、たとえばヒューマノイドロボットという単一の事業領域に特化するスタートアップが10億ドルを調達すれば、その資金を当該領域における研究開発、人材獲得、製造能力及び商用展開に集中的に投じることができる。この違いは時に決定的な競争ファクターとなる。
従来、大企業にとってスタートアップとの競争は、「小さく素早い挑戦者にどう対応するか」という問題であった。しかし現在では、分野によっては、「自社よりも多くの資本と人材を次世代技術に集中投入する競争相手にどう対抗するか」という問題に変わっている。
しかも、日本企業の場合には、前述した国内市場における過当競争の問題がこれに重なる。縮小する国内市場に多数のレガシー企業が残り、各社が限られた利益を分け合っていると、一社当たりが次世代技術に投入できる資本は細くなる。その一方で、海外では、グローバルな資本市場から巨額の資金を調達したスタートアップが、一つの新しいパラダイムに資本と人材を集中する。
そうなれば、「大企業対スタートアップ」という呼称とは裏腹に、実際の競争に投入されるリソースという観点では、むしろ大企業の方が「小さい」という逆転すら起こり得る。
既存企業がこうした新しい競争に対抗する方法は、自社単独で研究開発費を増やすことだけではない。複数企業に分散している資本、人材、技術、知財、顧客基盤を統合し、新しいパラダイムに十分な規模のリソースを集中できる主体を作ることも、一つの合理的な選択肢となる。
そのような局面においても、合併・統合という選択肢が取られなかった場合、企業は単独のまま新興勢力と対峙せざるを得ない。体力の消耗した個社が、潤沢なリソースを持つスタートアップと正面から競争することは、構造的に不利である。合従連衡によってリソースを集約し、変革に充てるべき資本を確保する選択を先送りにする場合の代償は、この局面において初めてその全容を現す。
ここには、競争と合従連衡の関係を考えるうえで重要な示唆がある。競争主体の数を多く保つことと、強い競争を維持することは同じではない。
個々の企業が十分な投資余力を持たないまま多数存続していても、新しいパラダイムに数10億ドルを集中するプレイヤーが外部から現れれば、産業全体として競争力を失うことがある。逆に、合従連衡によって競争主体の数が減ったとしても、それによって資本、人材、技術を集積し、世界市場で新しい競争を仕掛けることのできる企業が生まれるのであれば、競争は必ずしも弱くならない。むしろ、競争するために統合しなければならない局面がある。
特に、技術パラダイムの転換によって必要な研究開発費や設備投資額が桁違いに大きくなる局面では、この視点は重要である。既存の競争単位をそのまま維持することが、結果として各社のリソースを分散させ、産業全体の変革能力を奪うのであれば、合従連衡によってリソースを集積することは、競争を減らすための行為ではなく、次の競争を可能にするための行為と捉えるべき場合がある。
そして、この問題はそのまま競争政策の問題につながっていく。企業結合によって競争主体がたとえば5社から3社になるという静態的な事実だけを見るのか。それとも、5社のままでは各社が十分な研究開発投資を行えず、数年後には5社すべてが新しい競争から脱落する可能性までを見るのか。
現在のように、スタートアップでさえ既存の大企業を上回る規模のリソースを新しい技術に集中できる時代においては、競争環境の移り変わりのスピードが極めて速く、次世代の技術が実際に出現してから対策を打ったのでは間に合わないことも多く、「現在何社が競争しているか」だけでなく、「将来、誰が競争できるのか」という動態的な視点が、これまで以上に重要になっているように思われる。
競争を再設計する発想:合従連衡による「敗者の資産」の活用
ここで改めてアメリカの実態に立ち返りたい。
前述のように、アメリカのビッグテックは頻繁に買収を続け、半導体産業では数兆円規模の大型合従連衡が相次いでいる。少なくとも前述したビッグテックや半導体分野の大型案件をみる限り、これらは単に弱者が生き残るための防衛的選択肢ではない。むしろ、既に強い企業が新たな技術、事業領域及び人材を獲得し、競争力をさらに高めるための攻勢的な手段として、あるいは産業構造の主体的な再設計を試みるための戦略として機能している。
より重要なのは、アメリカにおける合従連衡が、競争相手の数を減らすという意味での「競争の収縮」だけでなく、技術、知的財産、顧客基盤及び人材を次の競争に向けて再配置する機能を持ち得ることである。競争の結果、独立企業としての成長継続が困難となった企業がM&Aを通じて別の企業に統合されると、その企業が持つ資産は、より競争力を持つプレイヤーの下で再配置され、新たな用途に活用される可能性が生まれる。
しかも、この再配置は買収者の企業グループ内だけで完結するものではない。ペイパルマフィアが象徴するように、売却後に創業者や初期メンバーが独立し、そこで得た経験、人的ネットワーク及び資本を基に、次の企業を立ち上げることもある。
また、前述したDiapers.comのケースもその一例である。買収されたクィズィの共同創業者であるマーク・ロアは、買収後しばらくアマゾンで勤務した後に退社し、2014年にECスタートアップであるJet.comを共同創業し、Jet.comは2016年に33億ドルでウォルマートに買収され、マーク・ロアはその後、Walmartの米国EC部門を率いた(逆に、アマゾンは買収から7年後の2017年に「結局どうしても黒字化できなかった」という理由で買収したDiapers.comを含むクィズィの全サイトを閉鎖している。)。同様のことは、買収を通じた技術の再活用や、破綻・売却した企業から流出した人材の次の会社での活躍という形で、アメリカでは日常的に起きている。
競争に敗れ、又は単独での事業継続を断念した企業の資産を次の競争の投入資本として再利用するこのメカニズムが機能するためには、市場からの退出が実際に起き、かつ、それが創業者や従業員にとって再起不能を意味しない環境が必要である。アメリカでは、破産法上のチャプター11が債務者企業による事業継続を前提とした再建の法的枠組みを提供している。また、企業自体の再建が困難な場合でも、その事業、技術及び人材が他の主体へ移転され得る市場環境が、資源の再配置を支えている。とりわけカリフォルニア州では、法定の例外を除き、雇用関係における退職後の競業避止義務が原則として無効とされている。こうした制度は、人材が新たな企業へ移り、その知識や経験を次のイノベーションに生かすことを法的に妨げにくい環境を形成している。
翻って日本の場合、競争に敗れた企業が市場から退出することなく長期にわたって低収益状態で存続し続けるという「ゾンビ企業」的な状態が生じやすいという指摘がある。これは直接的には財務的な問題であるが、その帰結として起きることは、優れた人材がその産業の中に囲い込まれたまま、その産業とともに緩やかに沈んでいくいわばリソースの「塩漬け」状態である。競争に負けた企業が即座に市場から退出するのではなく、長期にわたって低収益のまま存続し、その間も人材を抱え続けるからである。
競争に負けた企業が退出し、その資産が再活用されるというサイクルが回らないとき、競争の「敗者」が生み出すはずだった次のイノベーションが生まれない。最近では、我が国においても、分野によってはあるスタートアップが事業をシャットダウンしたが、その会社の人材は競合他社あるいは隣接領域にいる他の会社に転職し活躍しているといったケースが出るようになってきたが、このようなケースはまだまだ例外的である。
こうした状況の背景には多様な要因があり、十把一絡げに論じることはできない。また、雇用の維持や地域社会の安定という観点にも十分な配慮が必要である。それでも、企業の退出と再生をいかに円滑にし、そこで解放される資本、技術及び人材を次の成長領域へと循環させるかは、我が国の産業競争力を考える上で正面から向き合うべき課題ではないだろうか。
競争を再設計する発想:合従連衡による「企業をつくる力」の結合
しかし、現在の日本における合従連衡の意義は、こうした「敗者の資産」の再配置だけではない。むしろ、今後の産業競争力を考えるうえでは、もう一つ重要な役割がある。それは、個々の企業に分散している「企業をつくる力」そのものを結合することである。
30年前と現在の日米を比較すると、興味深い事実が浮かび上がる(なお、以下の比較は名目ドル建てであり、物価変動及び為替変動の影響を含む。)。
1995年、米国の名目GDPは約7.6兆ドル、日本は約5.5兆ドルであり、米国経済の規模は日本の約1.4倍であった。同年末の国内上場会社の株式時価総額は、米国が約6.9兆ドル、日本が約3.7兆ドルであり、その差は約1.9倍であった。それから30年が経過した2025年、米国の名目GDPは約30.8兆ドルに達したのに対し、日本は約4.4兆ドルとなった。ドル建てで見れば、米国のGDPはこの30年間で約4倍になったことになる。
ところが、米国企業の時価総額の増加はこれをさらに大きく上回る。米国の上場株式時価総額は2025年には約68.9兆ドルに達しており、1995年の約6.9兆ドルから約10倍となった。すなわち、米国では経済そのものも大きく成長したが、企業価値はGDPをはるかに上回る速度で拡大したのである。これに対し、日本の国内上場会社の株式時価総額は、1995年の約3.7兆ドルから2025年の約7.6兆ドルへと約2倍になったにとどまる。
もちろん、時価総額は金利、株価収益率、上場企業の構成、海外売上高等にも左右されるため、GDPとの単純な比較から因果関係を導くことはできない。それでも、この30年間の米国において、経済規模の拡大を上回る速度で、上場企業に対する市場評価が拡大したことは確かである。その背景には、グローバル市場で成長し、獲得した企業価値を次の資本、人材、技術及びM&Aに再投入する巨大企業群が形成されたこともあると考えられる。
これに対して、日本には、世界でも有数の「ものづくり」、すなわち、「ものをつくる力」の蓄積がある。このことは、今日の先端産業を見ても変わらない。半導体製造装置、電子部品、機能性素材及び精密加工の中には、日本企業が世界的に高いシェアを持つ製品や工程が少なくない。iPhoneを一つとっても、そのサプライチェーンには、ソニー、村田製作所、TDKをはじめ、多くの日本企業が参加してきた。その裾野には、公式サプライヤーリストには直接現れない中堅・中小企業も含まれていると考えられる。
しかし、優れた技術を持つことと、その技術を起点として世界規模の企業をつくることは同じではない。ここには一つの逆説がある。世界で代替困難な技術を持つ企業が多数存在するにもかかわらず、そうした個別技術を起点として事業領域を横断的に拡張し、Foxconnのような世界規模の製造プラットフォームへと発展した日本企業は必ずしも多くない。
この違いを単純に「経営者の成長意欲」や「日本人のリスク回避性」のみに帰することは適切ではないように思われる。むしろ、日本の製造業が長年形成してきたサプライチェーンが持つ性質とそれによる帰結もこれに相当程度寄与しているのではないだろうか。
戦後の日本の製造業では、完成品メーカーや大手Tier 1企業を頂点とする強固なサプライチェーンが形成された。その中で、中堅・中小企業は高度な加工技術、品質管理、歩留まり改善、納期管理等に経営資源を集中させることができた。他方、「世界のどこで何が売れるのか」「どの市場を狙うべきか」といった市場情報や需要予測、海外顧客との接点の相当部分は、完成品メーカーや大手Tier1企業が提供していた。
いわば、大企業が中小企業にとっての「外付けのコーポレート部門」として機能していたのである。この仕組みは、日本の完成品メーカーが世界市場を拡大していた時代には極めて合理的であった。各社がコーポレート部門を別々に持つ必要がないという点でコスト効率的であり、また、上流の大企業が示した指針がサプライチェーン全体に統一的に共有されるという点で各社の施策や戦略にずれが生じにくいからである。中小企業は、世界各国に営業拠点を置いたり、巨額の資金を資本市場から調達したり、海外企業を買収したりする必要がなく、上流企業から示された需要に応じて設備投資を行い、より良いものを、より安く、より確実に作ることに専念すればよかった。その分業が、日本の製造業全体としての強さを生み出したともいえる。
しかし、その反面、一部の中堅・中小企業では、上流企業から独立して世界市場を探索し、資本を調達し、販路を構築するための経営機能を自社内に蓄積する必要性が相対的に小さかった可能性がある。
たとえば、ある企業が世界で圧倒的な性能を持つセンサーを開発したとして、それを売上100億円の事業から1兆円の事業に成長させるために必要なのは製造技術、すなわち「ものをつくる力」だけではない。世界市場を分析して新たな用途を発見し、海外で顧客を開拓し、必要な資本を調達し、生産能力を先行して構築しなければならない。競合企業や隣接技術を持つ企業を買収することもあれば、特許ポートフォリオを構築し、ライセンス、JV、共同開発、長期供給契約その他の取引枠組みを創造的に組成することもある。
そこでは、資本政策によって成長資金と株主構成を設計する能力、M&Aによって時間を買う能力、知的財産を競争戦略として活用する能力、契約その他の取引枠組みによって事業から生まれる利益をスケーラブルかつ持続可能な形で自社で確保する能力、そして事業戦略を契約、権利、取引座組、ガバナンス体制といった実行可能な形に落とし込むための戦略的な法務能力などの「企業をつくる力」が必要になる。
Foxconnの成長は、この観点から興味深い。FoxconnもAppleのサプライヤーであり、その意味では「下請け」である。しかし、同社は単にAppleから指定された部品を製造する企業にとどまらなかった。Appleの需要拡大そのものを自社の成長機会として捉え、巨額の設備投資を行い、工場、人員、調達、物流、品質管理を統合し、さらに隣接する製造工程を取り込んでいった。同社は、相対的に低い利益率の受託製造事業において巨大な売上規模と製造能力を構築し、その能力を新たな顧客や製品領域へ展開してきた。
ここには、「優れたものをつくる」ことと「優れた企業をつくる」こととの違いが端的に表れている。
他方で、日本に目を向けてみると、1990年代以降、上で述べたようなサプライチェーンを跨ぐ分業を成立させていた前提そのものが徐々に崩れていった。日本の完成品メーカーが世界市場におけるシェアを低下させるとともに、サプライチェーンも、国内の系列企業が長期的な取引関係の中で一体として世界市場に進出する構造から、世界中の企業が技術、価格、供給能力を競い、顧客とサプライヤーの組合せが絶えず変化するグローバルな構造へと変わっていった。かつて上流企業が担っていた市場予測や海外展開、事業戦略といった機能に全面的に依存することは難しくなり、中堅・中小企業自身が世界のどこに市場があるのかを見極め、顧客を開拓し、自らの技術をどの市場に展開するのかを判断する必要が生じたのである。ところが、前述のとおり、そのために必要な「企業をつくる力」は、従来の分業構造の中では必ずしも十分に蓄積されてこなかったのではないだろうか。
この点は、過去40年間の世界の株式市場の変化とも整合する。1980年代後半、日本企業は世界の株式時価総額の極めて大きな割合を占め、1989年には日本だけで世界の約45%を占めたとされる。これは日本の資産価格バブルという特殊要因を含むため、その水準自体を基準とすることは適切ではないものの、1980年代を通じて、日本は世界の株式市場において極めて大きな比重を占める主要市場であった。その後、日本のシェアは大幅に低下し5%程度となっているが、これに対して米国は1980年代末にも世界市場の約3分の1を占めていたが、2025年には世界の国内上場会社時価総額の約49%を占めるに至っている。しかも、前述のとおり、アメリカ企業の企業価値はGDPをはるかに上回る速度で拡大している。
この変化は単に「米国経済が他国より大きくなった」ことだけでは説明できない。むしろ、米国では、「企業をつくる力」力が最大限活用され、企業価値拡大の循環が高度に発達したと見ることができる。
高い企業価値は単なる結果にとどまらず、それ自体が次の成長を支える手段にもなる。市場評価の高い企業は、自社株式を対価として企業を買収し、ストックオプション、譲渡制限付株式又はRSU等の株式報酬を用いて人材を獲得できる。また、既存株主の持分希薄化を相対的に抑えながら、資本市場から大規模なエクイティ資金を調達することも可能になる。こうして、企業価値が次の技術、市場、人材及び企業の獲得を支え、それがさらに企業価値を生み出す循環が形成される。こうして企業価値が次の企業価値を生み出す。その背景の一つには、技術を企業価値へ転換し、その企業価値をさらに次の技術、市場、人材及び企業の獲得に再投入する仕組みが発達していたことがあると考えられる。
このことは、現在のディープテック政策を考える上でも重要な示唆を持つ。
日本のディープテック政策では、研究人材の育成、研究開発投資やそのためのリスクマネーの拡充など「ものをつくる力」のための営みが重要な課題として論じられてきた。これらはいずれも不可欠である。しかし、日本の製造業の経験を踏まえれば、それだけでは十分ではない。日本の製造業の歴史を見る限り、日本には世界に誇るべき優れた技術及び「ものをつくる力」が存在していた。むしろ、目を向けるべきは、そのような状況だったにもかかわらず、それが必ずしも世界的な巨大企業の創出につながらなかったという事実の方である。
ディープテック企業の育成に必要なのは、研究開発費やそのためのリスクマネーなど「ものをつくる力」のためのリソースだけではない。世界市場を発見できる人材、海外で顧客を獲得できるセールス人材、巨額の資本を調達し配分できるCFO・財務担当者、知財を単なる権利保護ではなく競争戦略として設計できるIP人材、M&AやJV、ライセンス、グローバルなサプライチェーンを事業戦略の実行手段として設計できるCLO・法務担当者、そしてこれらを統合して企業を拡張できる経営人材が必要になる。
言い換えれば、ディープテックの源泉を「技術」だけに求めてはならない。技術を生み出す能力、すなわち「ものをつくる力」と、技術を起点として巨大な企業をつくる能力、すなわち「企業をつくる力」とは全く別のものである。
日本が次の産業を生み出すために必要なのは、引き続き「ものをつくる力」すなわち研究開発力を高めていくことのみならず、これまで一部の企業に偏在しており、かつ、その重要性に相応したスポットライトが当てられていなかった「企業をつくる力」を、新しい企業の内部、あるいはそれを支えるエコシステムの中に再構築することではないだろうか。
そして、今日、この問題は中小企業だけのものではない。人口減少と専門人材不足が進み、技術や市場が急速に複雑化する中で、大企業であっても、世界各国の市場を分析する人材、海外で顧客を獲得できる営業人材、第一線で活躍できるCFO、M&A、知財、法務等の専門人材を、あらゆる事業領域について十分な厚みをもって自社内に維持することは容易ではない。そうであるならば、すべての企業がこれらの能力を一から自社内に構築することだけが解ではない。企業の境界そのものを動かし、他社のリソースと合流することによって「企業をつくる力」を獲得するという発想が必要になる。
M&Aはその最も直接的な手段である。世界最高水準の製造技術を持つ国内企業と、海外の販売網及び顧客基盤を持つ企業との統合は、前者が一から海外営業組織を構築することなく、グローバルな販売能力を獲得するための手段となり得る。複数の技術企業が統合することで、個々の企業では維持できなかったCFO、知財、法務、M&A等の専門チームを共有できる規模になることもある。海外企業の買収によって、製品や売上だけでなく、顧客基盤、経営人材、規制対応能力、ブランド、販売チャネルまで一度に獲得することもできる。
また、合従連衡は完全な企業統合に限られない。JV、資本業務提携、共同開発、ライセンス、長期供給契約、販売提携その他の取引枠組みを創造的に設計することによっても、他社の能力を自社の成長に接続することができる。何を自社で保有し、何を他社と共有し、何を契約によって調達するのか。その企業境界を設計すること自体が、企業戦略なのである。
日本の課題は、技術あるいは「ものをつくる力」の欠如ではない。世界で通用する技術を、巨大な市場、持続的な収益、厚みのある人材組織、戦略的な知的財産、グローバルな販売網、そして次の投資を可能にする企業価値へと転換する「企業をつくる力」が、技術力に見合う形で十分に形成されてこなかったことにもあるのではないか。研究開発力を高めることは引き続き不可欠である。しかし、それと同時に、技術を起点として企業を拡張する能力を、新しい企業の内部又はそれを支えるエコシステムの中に再構築する必要がある。その手段は内部育成に限られない。M&A、JV、資本業務提携、共同開発、ライセンスその他の取引枠組みを通じて、分散した能力を結合することもまた、「企業をつくる力」そのものなのである。
合従連衡の意義の総括
このように見ると、合従連衡には少なくとも三つの意義がある。
第一は、過当競争を緩和し、残存するプレイヤーの投資余力を回復させることを目指す「前向きな集中」である。
第二は、単独での事業継続や成長が困難となった企業の技術、人材及び顧客基盤を新たな主体の下で再配置し、「敗者の資産」を産業の次の段階に橋渡しする「資産の再配置」である。
そして第三は、複数の企業に分散している技術、市場、人材、資本、知財、法務その他の能力を結合し、単独では持ち得なかった「企業をつくる力」を備えた競争主体を形成する「能力の集積」である。
重要なのは、この第三の機能が、単に既存企業を延命するためのものではないことである。合従連衡によって国内の競争主体が5社から3社に減ったとしても、その3社が十分な資本、技術、人材及び「企業をつくる力」を獲得し、より広い市場で新たな競争を始めるのであれば、その変化は、国内市場における競争主体の減少という一面だけでは捉えきれない。国内市場における競争単位の減少が、より広い市場における競争能力の増大をもたらすこともあり得る。
もちろん、だからといって企業結合が常に望ましいということにはならない。市場支配力を高め、価格を引き上げ、品質や選択肢を損ない、イノベーションを阻害し、潜在的な競争者を消滅させるような望ましくない企業結合は当然にあり得る。競争法がそのような企業結合を規制することには重要な意味がある。企業結合が競争を実質的に制限するか否かは、あくまで、関連する市場と個別具体的な事実関係に即して判断されなければならない。
しかし同時に、競争主体の数を維持することと、競争そのものを維持することとは、常に同義ではない。
市場が縮小する一方、グローバルな競争の中で技術開発に必要な投資額が巨大化している産業において、投資余力と「企業をつくる力」の双方を十分に維持できない企業が、それぞれ独立した競争単位として存続することを所与の前提とすることが、長期的に最も競争的な市場構造をもたらすとは限らない。むしろ、競争力の維持又は強化に資する合従連衡まで過度に妨げれば、各社が国内市場で消耗し、次世代技術への投資能力を失い、最終的には海外の巨大企業との競争そのものから脱落する可能性もあるのではないだろうか。
産業政策と競争政策との接点:企業結合法制との向き合い
合従連衡は、法的には独占禁止法における企業結合規制に服する。我が国においては公正取引委員会が審査を行い、一定規模以上の合併・株式取得等については事前届出が必要となる。
企業結合規制の基本的な審査の枠組みは、当該結合が一定の取引分野における競争を実質的に制限することとなるかどうか、というものである。すなわち、本質的に競争政策が守るべきものは、企業の数それ自体ではなく、競争そのものである。
そして、産業政策という観点からは、企業結合によって競争主体の数が減少するという静態的な側面だけでなく、その企業結合によってグローバルな市場で戦えるレベルの研究開発投資が可能になるのか、新しい製品が生み出されるのか、単独では保有できなかった「企業をつくる力」が形成されるのか、その結果としてグローバル市場に新たな有力な競争主体が形成されるのかという、より動態的な側面もまた重要になる。
とりわけ現在の日本では、この問題は切実である。人口減少によって国内市場が縮小する一方、AI、半導体、宇宙、ロボティクス、エネルギーその他の先端産業では、必要となる研究開発費や設備投資額は巨大化し、競争市場も国内から世界へと広がっている。その環境において、かつての市場規模を前提として形成された多数の競争単位をそのまま維持することが、必ずしも産業育成や競争力強化に資するとは限らないケースもあるように思われる。
もちろん、このような産業政策上の問題意識が、そのまま個別案件における企業結合規制上の結論になるわけではない。競争主体を強くすることや国際競争力を高めることを抽象的に主張するだけで、競争制限的な企業結合が正当化されるものでもない。
当然ながら、この問題は日本に固有のものではない。競争政策と産業政策ないしイノベーション政策との関係をどのように考えるべきかは、各国の競争当局に共通する課題となっている。
アメリカにおいても近年、競争政策とイノベーション政策との関係をどのように考えるべきかを巡り、活発な議論が続いている。
バイデン政権下のアメリカで2023年に公表されたマージャー・ガイドラインは、市場シェアや市場集中度を重視する「構造的アプローチ」を再び前面に押し出し、企業結合に対してより厳格な視線を向けたものとして大きな注目を集めた。特に、統合によるコスト削減や研究開発の集約といった効率性向上が競争制限による不利益を上回ると主張する、いわゆる「効率性の抗弁」、すなわち効率性を競争上の懸念に対する反証として主張することについて、従来よりも慎重な評価姿勢を示した点は象徴的であった。財やサービスの価格競争のみならず、労働市場、潜在的競争及び技術革新への影響なども広く考慮すべきであるとの考え方のもと、巨大企業による市場支配力の強化に対する警戒感が色濃く反映されていたのである。
これに対しては、イノベーションと効率性の観点から有力な反論も存在する。AI、半導体、バイオテクノロジーその他の先端分野では、研究開発費や設備投資額が急速に巨大化しており、既存企業がスタートアップや他企業との統合を通じて技術、人材及び資本を集約することが、競争力の維持や向上にとって重要となる場合がある。そのため、市場構造の変化だけではなく、企業結合によって生じる技術革新や投資促進の効果も、より積極的に評価すべきであるとの見解が示されている。
ただ、興味深いのは、そのような議論が存在するにもかかわらず、2025年に発足したトランプ政権下においてもFTC及び司法省は2023年マージャー・ガイドラインを当面維持する方針を明確にしたことである。つまり、少なくとも現時点においてアメリカの競争当局は、「イノベーションのためであれば企業結合を広く許容する」という方向に大きく舵を切ったわけではない。
これに対し、日本ではごく最近、企業結合審査の枠組みそのものに動態的な視点をより明示的に取り込もうとする動きが見られる。
公正取引委員会が2026年に公表した企業結合ガイドラインの改定案(本稿執筆時点では、パブリックコメントの募集が終了した段階)では、人口減少に伴う市場縮小等の経済環境の変化を踏まえ、供給安定性の改善・維持や、投資拡大・イノベーション促進による新商品の創出等を競争促進効果として考慮するとともに、輸入圧力や効率性等について長期的な市場動向を考慮する方向性が明示されている。これは、企業結合による市場集中それ自体だけでなく、統合によって新たな投資やイノベーションが可能となり、将来の競争能力が形成されるかという動態的な側面を、企業結合審査により明示的に取り込もうとする動きと評価できる。その意味では、日本の改定案は、市場構造と競争上の制約の喪失を強く警戒する米国の2023年マージャー・ガイドラインと比較して、本稿が論じてきた「次の競争を可能にするための合従連衡」という問題意識に、より親和的な方向性を示しているようにも思われる。
もっとも、それは国際競争力の強化という抽象的な目的を掲げれば競争制限的な企業結合でも許容されるということを意味するものではない。むしろ問われるのは、当該企業結合によって、将来の市場における競争がどのように促進されるのかを具体的に示
すことである。
結局のところ、競争政策と産業政策との緊張関係は、抽象的な理念によって一義的に解決される問題ではない。企業結合が市場支配力の強化につながるのか、それとも技術革新や新たな競争主体の創出につながるのかは、産業や市場の状況によって大きく異なる。
だからこそ重要なのは、「競争の維持」と「競争力の強化」を抽象的な一般論における二項対立として捉えることではない。個々の案件ごとに、当該企業結合が現在及び将来の競争に及ぼす影響を具体的に見極め、価格、品質、選択肢及び供給安定性といった顧客利益への効果、需要者にとっての代替可能性、輸入・新規参入による競争圧力、サプライチェーンへの影響、投資拡大やイノベーションによる新商品の創出可能性等を分析し、その必要性及び競争促進効果に関するロジックを丁寧に積み上げながら、競争当局との対話を重ねていくことであろう。また、その中で、統合による効果が具体的かつ検証可能であり、当該企業結合に固有のものといえるかを、投資計画、事業計画、技術ロードマップその他の客観的資料によって示していく必要がある。
こうした取り組みにおいては、合従連衡を戦略として選択する企業経営者自身が、「なぜこの統合が必要なのか」「それが顧客、産業、そして将来の競争にいかなる価値をもたらすのか」というナラティブを構築し、投資家、従業員、顧客、当局、さらには社会全体に向けて発信していくことが不可欠である。そして法律家には、そのナラティブを競争法上の法的ロジックへと変換し、競争当局に対して説得的な主張として提示するとともに、当局との建設的な対話を積み重ねていく役割が求められる。重要なのは、これら二つの営みをばらばらに進めるのではなく、両者を有機的に連携させることによって、一貫したストーリーを構築していくことである。
これは、本連載第2回で論じたエクセキューション・デザインの観点から見れば、事業戦略、法務戦略、そして非市場戦略を一体として設計し実行していくことの具体的な発現形態にほかならない。
競争と合従連衡への正対
競争はそれ自体として善でも悪でもない。競争の「質」が問われるのである。
成長する市場でイノベーションを駆動する競争は、産業を強くし、人材を鍛え、次の産業の担い手を生む。他方、縮小する市場において十分な投資余力が確保されないまま競争が続く場合には、産業は消耗し、人材は囲い込まれ、変革の機会が奪われることもある。
アメリカにおいて印象的なのは、競争を忌避せず、また、合従連衡を単なる防衛すべき脅威ととらえず、その上で、この両者を截然と分けて考えるのではなく、競争・合従連衡・退出・再起というサイクルをニュートラルかつ連続的なものとして捉え、そのそれぞれの局面で最善の戦略を選択するという発想が、少なくとも日本よりは広く共有されているように見えることである。
我が国において今求められているのはこうした発想ではないだろうか。競争と合従連衡に真正面から向き合い、そのいずれもを産業のダイナミズムにおけるニュートラルな選択肢として位置付け、イノベーション投資の余力を生み、顧客に価値を届け、国際競争力を維持し、そして産業で鍛えられた人材が次の挑戦へ向かえる環境を主体的に設計していく発想が、今まさに求められているように思われる。
そしてそのような環境を設計していく営みは、政策における課題であると同時に、個々の企業の戦略における重要視点であり、また弁護士をはじめとする産業の周辺に立つ者たちの重大な使命でもある。